Voyage sentimental

物欲の残滓

「ゆるキャン」という作品について

久しぶりに琴線に触れる作品だったので筆を執ってみよう。自分がこの作品に心惹かれた理由を整理したキモい文章が以下に続く。

(2018年3月時点、既刊6巻までを読んで)

前提として

もともと私は高校の頃に山岳部に所属していたのでアウトドアに関しては人より少しだけ経験があったりする。 しかし当時はゆるキャンとは真逆の”ガチキャン”。テントやら食料やら15キロ超の荷物を背負い登っていたのでどちらかといえば楽しい記憶より苦痛の方が鮮明だ。スイカ1玉をまるごと山頂に持っていったりした覚えもある。頭おかしい。

そんな登山しかやってこなかったため高校卒業後は山とはほぼ無縁に。しかし昨年からその当時の仲間に誘われて日帰り登山に何回か行ってきたところ、ゆるく登って帰りに温泉入るくらいのレベルであれば登山も楽しいことに遂に気付いた。 そう、レベル5にも関わらず重登山靴を履かされて目標到達レベル50みたいな山に登っていたのがそもそもの間違い。ただ単に身の丈に合わせた楽しみ方をしていなかっただけなのである。

そんな折にアニメ放送が開始したのがこの「ゆるキャン△」。まさに身の丈に合わせつつキャンプへ夢中になっていく作品だったため上記のタイミング的にも心惹かれるものがあり、即座にKindleで買い揃えてしまった。

以下に私がこの作品を気に入ったポイントをつらつらと挙げてみよう。

1. キャンプ場描写

一番はやはりこの点に尽きる。

夜景や料理、旅情をそそるキャラクターのやり取りなど、今までアウトドアに無縁な人でも「キャンプ行きたい」と思わせる吸引力を持つのが本作だが、私がなによりも気に入ったのはキャンプ場の風景が挙げられる。キャラクターも描かれない単なる風景のコマがこの作品には多く見られるが、この描写こそが私のツボをついてきた。

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深夜の高速PAなど、蛍光灯や自販機の明かりのみが灯ったしんとした空気が大好きなのだが、それはキャンプ場にも当てはまる。自然に囲まれ、日中は人が集う建物すら夜間は寂とした雰囲気を醸し出す。あの寂しさこそがあえて人里を離れた旅を選ぶ理由であると思うが、その感情をこの作品はわずか数コマで演出している。この描写こそが、作者の感性に全てを委ねても良いと判断できた最大のポイントだ。

2. 志摩リン

次に挙げられるのが志摩リンというキャラクターとなる。

キャラクターから逆算して話を創るというのはありふれた手法だと思うが、おそらく本作は「志摩リン」というキャラクターの発明により始まっている。そのため久しぶりにキャラの持つ役割に感心させられた。

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「集団と個人」、「初心者と上級者」といった形で野クルの面々と対照的に描くことでキャンプを多面的に描写。また高校生でキャンプ初心者である野クルの面々を毎話キャンプに動員できないという作中都合を、彼女に原付という機動力を持たせることで解決。作中でキャンプ描写を途絶えさせない役割も担っていたりもする。 更にサザエさん時空を採用していない以上、ただキャンプを繰り返すだけでなく何らかの物語も必要となってくる。そこで孤独なソロキャンガールである彼女が野クルの面々とクリスマスキャンプをするまでの過程をストーリーとして採用。彼女のクリスマスキャンプ参加がお話の1つの区切り(単行本1〜4巻)として位置づけられている。

以上のように幾つもの役割を担うことで作品に奥行きをもたらしているのが志摩リンだ。キャラクター一人でここまで話を構築できるのかと久しぶりに感心させられた。

3.『寂しさも楽しむ』

野クルの面々もキャンプに慣れ始め、志摩リンもすっかり5人のメンバー入りを果たした。クリスマスキャンプで1つの区切りとした以上、次のお話をどう動かしてくのかが気になるところだが、5,6巻を読んだところ、おそらくなでしこがソロキャンをするまでが次の区切りとなるのではないかと予想される。

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というのも作者にとってキャンプの最大の魅力は「寂しさ」にあると考えていると推察されるからだ。上に挙げたキャンプ場の描写にもそれは垣間見えるし、5巻で決定的な台詞をリンが発している。

そもそもこの作品、この手の作品にしては珍しく?「みんな”いつも一緒”に仲良し」というスタイルではない。そもそも主要キャラクター5人が一同に会したのはクリスマスキャンプが唯一ということも特筆できるだろう。ちなみにマジだ。このあたりの距離感が私のツボをついたのもあるが、「いつも一緒」ではないのはおそらく作者が描きたいキャンプの魅力とは相反するからだ。

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どうでもいいけどクリスマスキャンプを境にお互いの呼び名が変わっているのも尊い…尊くない?

そもそもアウトドアは本質的に「寂しさ」を楽しむという意見には首肯できる。普段過ごしている集団や街から離れて、あえて自然の中で不便に過ごすアウトドアがなぜ楽しいのか? それは日常という、普段は切っても切れないものから気軽に離脱できる行為だからだ。当然ホームグラウンドから離れる訳だから孤独や寂しさも感じる。しかしそれを感じられるのもアウトドアの特権だ。私が登山に見出した楽しみの1つもこの感覚であり、だからこそこの作品に心惹かれたのだろう。

作者が季節に冬を選んだのも、ソロキャンパーを登場させたのも、読者にこの楽しさを伝えるための布石だ。主要キャラが集ったグループキャンプを経てすっかりキャンプに夢中になり、初心者であったなでしこが次のステップとしてソロキャンを経験することで、作者は改めて「寂しさを楽しむ」キャンプの魅力を提示し、作品としてはまた1つの区切りを迎えるだろう。

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あんな天真爛漫な子がこんな表情でソロキャンに思いを馳せるギャップがヤバイ(ヤバイ)

ちなみに「寂しさ」がキャンプの魅力であっても、決してキャラクター同士があっさりした仲ということは当然ない。1~4巻で5人がキャンプをするまでを描いたように、むしろこのあたりの過程は丁寧に描いているのもゆるキャンの大きな魅力だ。アニメのキャッチコピーは『きっと、そらでつながっている』と銘打たれており、やはりアニメスタッフもこの作品の魅力はそうしたキャンプの楽しさと、丁寧な人間関係の両義性にこそあると踏んだのだろう。

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ちなみに以上の予測は外れていることが7巻で明かされる。

まとめ

この作品のせいで登山用品を買い揃えてしまった。早く暖かくなって(懇願)

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