Voyage sentimental

物欲の残滓

脱こども部屋おじさん

齢30をとうに過ぎてようやく脱こども部屋おじさんを果たした。色々思うことがあったのでその記録となる。

もともと実家を出るのは今回が初ではない。大学の時に下宿するため一度出たが鬱で出戻り、奇跡的に拾ってもらえた就職先も実家からギリギリ通勤できる距離だったのでそのまま居着いてしまった。今まで何度も家を出ることは検討してきたのだが、給与面であったりコロナ禍があったりでずるずるとこども部屋おじさんが続いた。が、ようやく公私で転機が訪れたので決断に踏み切った訳である。

まず仕事の面だが単純に給与が上がった点が大きい。要因としては直属の上司が変わったことにある。かつての上司は仕事はできるし技術に詳しく面倒もよく見てもらったものの、営業チームと折り合いが悪く部門長からの評判が極めて悪かった。そんな人の部下が評価されるはずがなく入社以来給与は低水準が続いていたところ、今年度から上司が変わり部署が再編成されると思わず聞き返してしまうほど給与が上がり、乾いた笑いが出てしまった。奨学金と自動車ローンを返しつつ勤務先にそこそこ近いところで一人暮らしできる程度の額をもらえることになったので、脱こども部屋おじさんに踏み切れた次第である。 また先述の部署再編成で社内の最小ユニット単位だが名目上リーダーを任されることになったのも大きい。30歳を過ぎてようやく?というのが世間一般の反応だと思うが、人の面倒をみることになるからにはいつまでも実家におらず独立したいと思ったのも否めない。

また役職の変更に伴い出社比率も上げられてしまったのも理由の1つとなる。いわゆるハイブリッドワークというやつで、これまで在宅勤務と出社が3:2くらいだったのが1:4になってしまった。ギリギリ通えるとはいえ実家から勤務先までドア・ツー・ドアで最短1時間半は中々つらい。もう少し近いところに住みたくなったというのが正直なところだ。コロナ禍前はそれでも週5で通勤していたというのが最早信じられない。

次に私事の面だが、これはシンプルに父親の定年退職が理由となる。これまで仕事の面でつらつらと理由を述べたが、正直なところ全て言い訳に近い。これがほぼ理由の全てである。

今春に定年を迎え悠々自適な生活を迎えたはずの父親だが、元々無趣味に近い生活を送っていた懸念が的中し、ほぼ家に居っぱなしの日々を送っている。朝は大谷が出場するMLBの試合をスマホソリティアをしながら眺め、昼は少し本を読んで昼寝し、夕方少し買い物に出かけ、夜はスマホソリティアをしながらテレビを眺めて就寝する。ほぼこれの繰り返し。在宅勤務日や休日にこの父親の姿を見続け、不安に駆られ、見ていられなくなり家を出る、というのが脱こども部屋おじさんに至った実態である。要するに逃げ出したのだ。

父親には心底感謝している。鬱で一留一休学したにも関わらず黙って学費を出してくれて、就職してからも実家で厄介になっているのに何も言わなかった。じゃあそれに報いるのが息子の役目ではと指摘されるだろうが、これまで父親には色々と提案しても面倒臭いの一言で全て切り捨てられてきた経緯もある。感謝はしているものの、これ以上は自分の人生なんだし知らんがなというのが薄情な本音である。

母親に関してはあまり心配はしていない。映画や演劇を見によく出かけているし、旦那が単身赴任でワンオペ育児をしている姉のところへ週に何日かヘルプに行き、大変だと言いつつ孫を可愛がっている。ただし、何をするでもなく毎日家に居続ける父親には苛立ちと嘆きを抱いていた。薄情な息子としては、夫婦がこれまでに積み重ねてきた結果なので2人の責任なんだしどうしようもないというのが本音だ。

父親も今年は自治会の役職担当なので外部との人付き合いはあるだろう。しかし来年以降は?

退職祝いに贈ったMacBook Airもせめてこれで新しい趣味でも見つけてくれたらという願いもあった。なにも毎日外出して欲しい、創造的な趣味を始めて欲しいとは言わない。長年勤めてきたからゆっくり日々を送っても構わない。ただ日々の中で何かを楽しみにしている姿を見せてほしかった。今は文字通り”無為”に過ごしている姿しか見えないのだ。

恩知らずの息子の目が節穴であることばかりを祈っている。

家具が来るまでおうちキャンプ☆

引っ越し当日は空っぽになった部屋に母親の寂しそうな顔、通り過ぎる故郷の風景と、流石に郷愁にかられてしまった。 同年代の友人たちが少なくとも10年前に経験したことを今更体感しているというのがちょっと情けなくなく思った瞬間、大学の同期から無事に子供が生まれたとの吉報が届きライフステージの圧倒的””””””差””””””を噛み締めたのはここだけのお話。